出雲大社教

国家神道に迎合せず独自路線を進んだ、出雲大社の流れを組む教団

出雲大社教

出雲大社教ロゴマーク
教団名出雲大社教読みいずもおおやしろきょう
開祖千家尊福、または天穂日命 設立年1873年
現代表・教祖千家隆比古 系統神道
信者数 1,264,483人信仰対象大国主大神
経典教旨大要、大道要義本部所在地島根県出雲市大社町

沿革

1873年(明治6年)
組織化
第80代出雲国造(いずもこくそう)・千家尊福(せんげ たかとみ)が、出雲大社の崇敬者組織として「出雲大社敬神講」を設立。
当時、明治政府が進める「大教院(国民教化機関)」の設立に協力し、千家尊福は神道界の中心人物となる。
1880年〜1881年
祭神論争(さいじんろんそう)
国の神殿に誰を祀るかを巡り、伊勢神宮派(天照大神のみを祀るべき)と、出雲大社派(国造りの神である大国主大神も併せて祀るべき)が激しく対立。
千家尊福は「幽顕一如(目に見える世界は天皇=天照大神が、死後の霊魂や目に見えない世界は大国主大神が治める)」と主張したが、最終的に明治天皇の裁断により伊勢派が勝利した。
1882年(明治15年)
教派としての独立
政府が「神官は布教をしてはならない(祭教分離)」と定めたため、千家尊福は出雲大社の宮司職を弟に譲り、自らは布教団体である「神道大社派(後の出雲大社教)」の管長(特立教祖)となる道を選んだ。
これにより、神社としての「出雲大社」と、教団としての「出雲大社教」が制度上分かれることとなった。
1951年(昭和26年)
宗教法人法の施行に伴い、「出雲大社教(いずもおおやしろきょう)」として認証される。
2014年(平成26年)
高円宮家との慶事
現在の教団トップ(管長)である千家尊祐(第84代出雲国造)の長男・国麿と、高円宮家の典子女王が結婚。
出雲大社および出雲大社教の社会的権威が改めて注目された。


特徴

「神社」と「教団」の二重構造
一般的に観光で訪れる「出雲大社(いずもおおやしろ)」は神社本庁に属する神社だが、それとは別に宗教法人「出雲大社教」が存在する。
しかし、トップ(管長)は代々千家家(出雲国造)が務めており、実質的には一体不可分である。
全国にある「出雲大社○○分院」や「出雲大社○○教会」の多くは、この出雲大社教の施設(教会)である。

「二礼・四拍手・一礼」の作法
一般的な神社の参拝作法は「二礼二拍手一礼」だが、出雲大社および出雲大社教では「四拍手(しはくしゅ)」を行う。
これは「四季」や「四魂」を表し、神への崇敬をより丁重に示すものとされる(※さらに丁寧な儀式では八拍手を行うこともある)。

教義:幽顕一如(ゆうけんいちにょ)
目に見える現実世界(顕世・うつしよ)は皇室の祖神・天照大神が治め、死後の世界や目に見えない精神世界(幽世・かくりよ)は大国主大神が治めるという世界観を持つ。
そのため、出雲大社教の葬儀(神葬祭)は、故人の霊魂を大国主大神のもと(幽世)へ送る重要な儀式と位置づけられている。

独自の専門用語と行事

  • おくにがえり:信徒が出雲大社(島根県)へ参拝すること。心の故郷へ帰るという意味。
  • おにわふみ:出雲大社の境内や、神域とされる八雲山などの清浄な場所(御庭)を踏みしめ、神の気を受けること。
  • お忌みさん(おいみさん):旧暦10月(神在月)、全国の神々が出雲に集まる期間、地元の信徒たちは歌舞音曲を慎み、静かに祈って過ごす風習。

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