金光教

神と人とを「取次」によって結ぶ、幕末三大新宗教の一つ

金光教

金光教のロゴ(紋章)
教団名金光教読みこんこうきょう
開祖赤沢文治 設立年1859年
現代表・教祖金光平輝 系統神道
信者数 409,387人信仰対象天地金乃神、生神金光大神
経典金光教教典本部所在地岡山県浅口市金光町
キャッチフレーズ【よろこびの世界へ】【「神人の道」を一人ひとりの生活に】
信者の著名人扇千景(故人)、四代目坂田藤十郎(故人)、七代目中村芝翫(故人)、八代目中村芝翫
参照・出典:芸能人と新宗教 , 週刊文春2012年5月17日号 , 月刊Hanada2017年1月号「新宗教有名人信者全調査」

沿革

1859年、開祖赤沢文治が神託を受け立教。
1883年、教祖死去
1923年、岡山県の本部所在地が本教団の名を取って「金光町」となる
1928年、金光教教典を刊行


特徴

信者の悩みや願いなどを教主が神に伝え、返答をもらうという「取次(生神金光大神取次)」を行う。
他の宗教を否定しない、比較的寛容な教団である

口コミ・評判

  1. 匿名 より:

    金光教では、一般的に教義と呼ばれるようなものはなく、取次による神の言葉「お知らせ」が絶対であり、日常生活のすべてを神の命ずるままに行動せよと教えています。しかし、教祖が神意を伝えるとされる「お知らせ」は、実はいい加減な内容です。
    例を挙げます。
     「教祖がある時『お神酒(みき)をつけて接げば、割れた茶わんでも接げる』と言った。ある人が『それでは、私もいたしましょうか』と伺うと、教祖は『それでは茶わん接ぎの仕事がなくなって、飢えてしまう』と答えた」(教典484)
     「片目がうずいて困っていた人が、教祖に願うと『春の花の4日を楽しめ』と言った。しかし、その日には治らず5日に再び尋ねると、教祖は『その方の命は、花の節句には花のごとくに散るのであった。それを助けてやったのである。命がなくては目はいらないであろう。生きていればこそ目が痛いのがわかるのであろう』と答えた。そして『5月の菖蒲を楽しめ』と言った。5月にその人の目はだいぶよくなり完治せず、再度訪ねると『7月の7日を楽しめ』と言われ、この時に目の痛みが治った」(教典488)
     このような「お知らせ」なるものは、所詮赤沢文治の思いつきの言葉で、この言葉に日常生活のすべてをゆだねて幸せになれるはずはありません。

    • [信者かどうか] - 元信者
  2. 匿名 より:

    私は元信者で、霊の働きを何度も聞かされましたが何か生活が良くなったとかはありませんでした。

    • [信者かどうか] - 元信者
  3. 匿名 より:

    私は子供の時に金光教とご縁をいただきました。特に教会に熱心にお参りをさせていただくわけでもなく不信心と言える状態でしたが、中年になってから多発性筋炎(指定難病)の疑いから大学病院に検査入院することになりました。わらにもすがる思いでご縁をつないでいた教会の先生にお届けをしましたら、先生が必死にご祈念してくださり、私もベッドから神様にご祈念申し上げたところ、徐々に痛みがなくなっていき、ウイルス性の筋炎の疑いとの診断結果になりました。痛みが引いてきた頃に各部位に筋肉に針を指す検査をしたのですが、検査した医師が確かに筋炎はあったのだがと不思議な顔をされていたのを今でも思い出します。あの時家を買ったばかりで子供も小さく、この先私が動けなくなったらどうなるかと目の前が真っ暗になりましたが、ご祈念してくださる教会の先生がいらっしゃることが本当にありがたくとても心強かったです。健康は当たり前ではなくありがたいことと感謝し、また生かされていることがどれだけありがたいことか感謝するようになり、今も神様のお力を賜り元気に過ごさせていただいております。

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